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映画『ヘドヴィク・アンド・アングリーインチ』

会社帰りに映画館に寄りました。一度やってみたかったのよね。前の仕事の時は会社帰りに映画館とかコンサートとか、一体どこの国のことかと思ってましたが。

さて、今回見たのは旧東ドイツ出身のトランスセクシャル、ヘドヴィクの物語。ブロードウェイでマドンナ、デヴィッド・ボウイといったアーティストを釘付けにしたロックミュージカルを、舞台の原案+主演男優をつとめたジョン・キャメロン・ミッチェルの監督、脚本、主演で映画化したものです。

派手な衣装と化粧に身を包んだヘドヴィクは、自分の曲を盗んでスターダムにのし上がったロックミュージシャン、トミー・ノーシスを追いかけて公演会場のそばの酒場でギグをはり、自身の半生をロックでつづります。抑圧された少年時代、ロックスターへの憧れ、最初の結婚と性転換、トミーとの出会いと別れ。

この映画のテーマは直截的に言えば「自己の探求」なのですが、その表現はとてもユニークです。大体トランスセクシャルになる動機としてよく聞くのは性同一性障害患者に見られるような心身の乖離を修復するという自発的な欲求ですが、ヘドヴィクの場合は、太古の昔神に引き裂かれたという「失われた半身」と信じた最初の夫の意向に従ったものです。結局夫とは別れ、「彼女」は手術ミスで股間に1インチの隆起が残ったいびつな姿で失われた半身を探す旅を続ける羽目になります。その生き様は痛々しいのだけれど、どこか清々しいところもあり、さらに泥臭いところもあったりなんかして、見ているこっちは何だか笑っていいのか泣けばいいのか分からなくなります。

そして、そんな彼女の生き様を彩る衣装、化粧、ロックのリズム。バタ臭いです。まごうかたなきロックの体現です。しびれます。でも、サウンドトラックは買わないと思います。好きなんだけど、ずっぽりはまってしまうのには何か抵抗があるんです。

つまるところ、自分はこんな生き方はしないだろうしする必要もないけれど、こんな生き方もあるんだということは知っておきたい、そんな映画。