東野圭吾『どちらかが彼女を殺した』
- 2001.05.14 Monday, 17:55
- [今日の読書]
ところで、皆さんは突然本屋の陳列棚の前で何つうか、こう、チャレンジングな気持ちになってしまうことってありませんか? ふうこはたまにそんな気持ちになって今まで手に取ろうと思ったこともないような本に手を出すことがあります。それは場合によっては幸福な事故だったり不幸な事故だったりしますが、そもそも私がインターネットというものに深入りするきっかけになったのも元を辿ればこの衝動だったりするので、まぁネットで暮らす民には不幸なことだったでしょうな。
何でこんな話をしたかと言えば、氏の作品を手に取るきっかけが正に上記の衝動に従ったものだったからで、この項の本筋とは別に関係ありません。
さて、肝心の内容ですが。ある殺人事件の容疑者に二人の人物が浮かび上がり、そのどちらが犯人であるか突き止めようとする刑事と、刑事を生業とする被害者の兄。最終的に事件は解決を見るものの、犯人の名は最後になっても明かされないという変則ミステリ。
読みやすく、でもかなりトリッキーな出来で、@nifty のフォーラムでの氏の作品の評判も頷けました。全く、本編は素晴らしかったんだよなぁ…せっかく余韻を楽しんでいるところについつい巻末の推理の手引き
なんつー袋綴じを読んで、犯人についてごくごく論理的な「正解」があるということに気づかされるまでは。
あなたはどう思いますか?
系ではなく、はっきりとした答えがあるのに敢えて書かないとは、確かに当時の文壇では話題になっただろう。しかもあれだけの文章力。でもあんだけもめといて結局最後あーんなピンポイントで特定できるとは…。しかも、それをいちいち巻末に添付するか…? まるであの人アンタのこと○○だって言ってたよ
って思ってもみない方面からのコメントをリークされたような気分。
ちょっと本格ミステリがもつ「拘り」に嫌気がさした一冊でした。
2005-05-18T18:13:15+09:00 追記
この感想、まるでふうこがこの作品に全く意義を見出せてないように読めてしまうのだけども…。実際にはこれはこれで楽しいのだけど、別にそんなの求めてなかった
という程度のことだったりする。
鳥の雛のように大きな口を開けてただ「名探偵」の解決を待つ読者は愚かに見えるかもしれないが、ミステリ者はどこかで完膚なきまでに打ち負かされたい
と思いながら日々作品を追い求めているのじゃないだろうか。この作品には、明示的な答えがない。答えがない
というのは、即ち打ち負かされたと感じるポイントがない
ということだから、極端な話本格ミステリを読む時のひとつの楽しみを殺ぐ所業
といってもいい。
まぁ、その結果現れた新しい楽しみ
を提示するのがこの作品の大きな目的なのだろうから、結論としては、ちょっと不幸な出会いだった
というだけです、ハイ。